ヒロセ電機が歩んだ80年は、
国産コネクタの歴史。

ヒロセ電機は1937年に創業して以来、
人の想いをつなげるビジネスに
挑戦し続けてまいりました。
この80年間の歩みの中で、
ヒロセ発の世界初となる製品・技術などによって、
世の中に多くのつながりを生み出し、
世界中のイノベーションに貢献させて頂きました。
これからもヒロセ電機は社員一同、
コネクタのトップメーカーとして誇りを胸に、
皆さまの想いをカタチにしてまいります。

1960年代

海外製が主流であったコネクタ業界に、日本初という一石を投じた製品たちです。特にラミコンは海外品の1/2という小型化の実現によって、VTR接続の国際標準コネクタに選定されました。

1980年代

世界のモバイル製品供給国に成長した韓国へ、早い段階から進出していました。現地のプリント基板メーカーである大徳産業と手を組み、ヒロセコリアを世界の部品供給を背負えるまでの一流企業として成長させることができました。
この韓国と日本の取り組みは、経済および文化交流へ貢献したと評価いただき、故最高顧問 酒井秀樹は会長時代(2006年)に「韓・日経済人大賞」を受賞いたしました。

1990年代

コネクタへのFPC接続作業は、コネクタの隙間にFPCを押し込むため、作業者が苦労していました。そこで、接続が簡単にできるよう、フタを開けてFPCを挿し込む「フリップロック方式」を開発提案しました(右図参照)(上図参照)。この簡単・確実な接続方法は、今では業界の標準的設計思想となっています。

当時、高価で大きかったアンテナ用の同軸コネクタを、小型化の波を予見してプレス部品による大幅な小型化・コストダウンを実現したシリーズを開発。この小型同軸コネクタは、携帯電話のアンテナコネクタのニーズとマッチし、携帯電話が登場してから現在まで広く使用されています。

2000年代

スマートフォン・タブレット・電子ブック・ヘッドセットなどの、I/Oとして全世界に普及したMicro-USBコネクタ。当時メーカー毎にバラバラだったI/Oコネクタの集約に成功するとともに、ヒロセの提案をベースとして世界標準規格が実現しました(基本形はGXシリーズ)。中国やEUの標準充電規格にもなり、現在は日本のガラケーや家庭用ゲーム機にも規格が適用されています。

2010年代

一関工場および郡山工場は地震による設備の損壊、宮古工場は津波被害によるインフラの長期停止に見舞われました。お客様への製品供給が難しい状況に陥りましたが、横浜に緊急チームを立ち上げグループの英知をつなぎ、お客様への供給責任を果たすことができました。

2011年、将来に向けたヒロセ電機の拠点となる横浜センターが竣工しました。新社屋はすべての部門が一つ屋根の下に集結するコンセプトで建設されました。80年をまだまだ通過点と捉え、いち企業の社屋としては異例の100年建築を採用し、この先も永続的に発展し続ける企業になることを全社員で誓いました。

ビルの配線はねじ締めが常識、そんな過去何十年も変わらなかったビルの電源供給接続を研究し、ねじ締めが必要ないためメンテナンスも不要となる「ゼロスクリュー」構造を開発しました。現場の人手不足が深刻となるこれからの時代を支える製品として、ご期待いただいています。

この先の100年も、想いをカタチに。

この先の100年も、想いをカタチに。